【資本空間】豊島康子 鑑賞後感
【概要】
資本空間 – スリー・ディメンショナル・ロジカル・ピクチャーの彼岸 vol.1豊嶋康子
画像:gallery αM
豊島康子さんの展示について
◯展示はアンカーを題材に、前回のパネルのシリーズを発展させた。
【ギャラリーの正面性と作品の正面性への否定】
◯ギャラリーに入ると、作品が壁や柱によって巧妙に隠蔽され、一見作品がどこにかかっているかわからない状態。
◯ギャラリーは『キューブ』ではあるが、入り口がある限り非対称性が生じる。入り口から一番正面の壁(ギャラリーに入った人間が一番最初に目にする壁やスペース)はいわばヘッドラインで、つまりはギャラリーの一番価値のある壁になる。
ギャラリーの一番奥の壁もしかり。
◯豊島康子の展示は、その二つの重要な壁になにもかけていなかった。
◯パネル作品自体が (誰もが連想されるところではあるが) 正面性を否定している。観客は正面からは平らな板以外はなにも見えない。横や裏を覗き込むようにしなければ、個々のパネルがユニークなものであることは伺えない。通常の美術館やギャラリーには見られない光景だ。
◯ギャラリーの正面性の否定と、作品自体の正面性の否定が呼応する。
【アンカー、ヴォイド(中空状態)】
◯豊島さんによれば、今回の作品は、アンカーなら発想を始められたそうだ。パネルを使った作品は前回の秋山画廊での続編と思わせるが、実はアンカーの特性を活かすために、たまたま再度パネルを取ったとおっしゃっていた。
◯アンカーは、ご存知のように、石膏ボードやコンクリートなど、直接ネジ打ちするのに不適切な壁や板に、あらかじめ固定材として打ち込み、その上からさらにネジを回しこむためのものである。すなわち、アンカーは、壁または板のオモテ面から打ち込み、壁または板の裏面に突き抜け、その裏面では、花のような形になる(この形が壁材に食い込む)
◯豊島さんのパネルは、アンカーの裏面、あるいはオモテ面のどちらかしか目にすることはない。アンカーの片側が隠されているということだ。つまり厚さ3cm程度のパネルにもかかわらず、中は中空になっているということが伺える。
◯豊島さんのパネルはブラックボックスである。アンカーを実際に打ち込んだ面や、薄い板通しに隠されたパネルの中空構造を、所有者ですら知ることができない。
それは美術作品を所有するということにおいて稀なことだと思われる。現実にはよくあることであるにとかかわらず。
展覧会のタイトル(キュレーターがつけたネーミングだが)の『資本空間』という言葉と、偶然でありながら語感的な対応が生じる。
※資本空間は本来、ヨゼフ・ボイスの用語だそうで、現実の金融資本主義システムを意味するわけではない。
◯アンカーは特殊な道具である。ものづくりを扱う人間や、日曜大工に勤しむ人間や、家屋を所有する人間で自分ちの壁に棚をつけたいと思った人間でなければ、アンカーの形(機能や表裏の見分け)が付くのか極めて疑問。私は美術家ではないので、自分ちに棚をつけるまでは恥ずかしながらアンカーの形を知らなかった。
そういう意味では、機能と形の理解と了承とは、政治的なものでもある。
【裏面のデザイン、掲示の形式、身体】
◯パネルのオモテ面は単調のフラット木面であるが、裏は変化に富んでいる。薄い板と細い木片で構成された、リズミカルなデザインである。
◯その設計については、豊島さんは恐らく45°が切れるカッターを使っているので、木片自体に自由な形状変化が見られない。しかし、その形状に合わせた配置を行うことによって裏面に表情が生まれた。
◯壁へのかけ方は(紐の長さ)は、豊島さんが腕の届く範囲という話があった。身体による造形の規定がわかりやすい形で現れている。